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澤地久枝の「わたしが生きた「昭和」を読んだ

澤地久枝の「私が生きた「昭和」」岩波現代文庫 2000年 を読んだ。昭和5年生まれの著者が満州吉林から戦後引き揚げるまでのことを詳細に語っている。

 8月9日未明、ソ連参戦。関東軍にあって、国境部隊は時間稼ぎの捨て駒以下だった。「人間の条件」の主人公は奇跡的に生き残る。作者、五味川純平自身の体験が裏付けにある。

 敗戦とともに生活は一変、「私」は社宅に残ったが、女学校には奥地から引き揚げてきた「難民」が収容されたいた。冬の朝、白い枯れ木のような「荷」がつまれている。避難先の女学校でなくなった死者たちだった。(私も同じ経験をしている。瀋陽の小学校が避難所になり、そこでの生活は見ることもはばかられる状態だった)

 その社宅からも追い出され、収入はないので、いろいろな持ち物を売る売り食いの生活、またにわか商人になって食いつないだ。

 ようやく翌年8月帰国の途につく。屋根はおろか囲いもない貨車の旅。便所などはなく、停車時、貨車の下へもぐって用を足した。錦県(遼寧省南部の収容所)を経てようやくコロ島で船に乗った。

 その他、226事件や柳条湖事件など、当時はまだ幼くてよく知りえなかった歴史を詳細な記録を辿って書いている。