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稲置街道45 矢田川南岸堤防

成願寺町に属する矢田川の南岸堤防に面した成願寺の路地に入ると、

突き当たりに堤防上に向かう石段が見えていた(写真左)。

「成願寺」という地名は現在も成願寺に存在する寺院で、

名古屋市』公式ウェブサイト(http://www.city.nagoya.jp/)の

「慈眼山 成願寺」の項にこう紹介されている。

「もとは常観寺といい、安食(※あじき)・山田一族の菩提寺であった。本尊の木造十一面観音菩薩立像は、平安朝時代の技法を残す彫刻として市指定文化財となっている。山田重忠による中興開山800年を記念し、平成21年7月1日に全面改築した。」※=AYU注

なんと,「せいがんじ」と読むものと思っていた「成願寺」は

「じょうがんじ」と読むのだと判った。

現在の成願寺は現在の稲置街道(いなぎかいどう)の西側に面しており、

この地域の地名の由来になっているとは知らずに4月の下旬に訪問していた。

安食一族に関しては情報がほとんど見当たらないが、

山田一族は平安時代末期には尾張国山田郡山田荘領主であり、

尾張北部から三河山岳部にかけての地域を代表する一族である。

尾張源氏嫡系にあたる氏族とも考えられており,

京と鎌倉を結ぶ交通の要衝に代々勢力を持った一族であった。

中でも承久の乱(鎌倉時代初期)で活躍した山田重忠は

現在は我が母校である笠寺小学校となっている,星崎城城主を務めた武将だった。

路地の奥に進み堤防下に出ると、

下流側に,堤防上に登って行くためのスロープ&階段の鉄製の手摺が見えた。

このスロープ&階段は矢田川南岸の現稲置街道と庄内川北岸の現稲置街道を結ぶ

ふれあい橋まで登る通路であり,成願寺に寄った後、登った通路だが,

考え方によっては現稲置街道の一部ということになる。

左奥に聳える円筒形のビルは北スポーツセンター。

堤防の中腹からスロープ&階段の最上階に向かって

雑草の踏まれた通路が延びている。

堤防上は自動車専用道路なので、そのガードレール際まで登って

安井 六所神社の杜を振り返ると、

成願寺の住宅街の向こう側に社叢のみが眺望できた(写真中)。

5月の上旬 晴天

前回ふれあい橋に上がった時には

矢田川と庄内川の川面と河川敷を観るのが目的だったので、

橋やスロープ&階段の撮影は行っていなかったのだが、

稲置街道が旧成願寺(現成願寺町)を通っていたことが解ってきたので、

関係モニュメントとして,再度、橋とスロープ&階段の撮影に向かった。

前回登った矢田川南岸堤防の通路の頂点でもある,

スロープ&階段の最上段から見下ろした成願寺の写真が(写真右)だが,

スロープ&階段下にやって来る稲置街道が画面右方向に延びており、

その先に慈眼山 成願寺は存在する。